本当は仲良くしたい

家族の怠惰な姿をみて、がっかりする。
でも、わたしもこの家族の血縁である。
自分自身の怠惰な姿にがっかりする。
つまり、わたしは家族に自分自身の嫌な姿を投影してがっかりしているのだ。

家族(自分以外の人)に対する嫌悪は、同時に自分に対する嫌悪だ。

家族と仲良くしたいんだ。本当は。
自分と仲良くしたいんだ。きっと。
家族を大切にして、愛することができたら、
自分を大切にして、愛することができるだろうか。

毒親で検索

はじめは友人のツイートがきっかけだった。
親とのエピソード、困り事を書き込んだ友人のツイートを読んで「あぁ、この子の親って毒親ってやつかな?」と思った。

毒親の定義を調べようとネットで検索して驚いた。
いちばんはじめにヒットした記事がまるでわたしだったのだ。

いい親だと思っていた。
けど違った。
親だからすべて正しい訳じゃない。
そんなことわかってるつもりだった。
でもここまで毒親に当てはまる わたしの親はなんだろう。
悲しさもあったけど、納得が大きかった。
自分自身に誇りを持てない自分が嫌いだったけど、そういう思考回路になるように育てられたのだから仕方のないことだった。

毒親毒親育ちであることが多いらしい。
わたしの両親も毒親に育てられたのだろうか。
少し解る部分がある。
ばあさんたち、言い方キツいんだよな。
そうやって育った父と母よ。
同情するよ。
だけどな、わたしはその連鎖を止めたい。
自分自身が変わることで止めるのか、それとも子供を持たない人生を選ぶのか。
それはまだわからないけど、もうこんな心の貧しい人間を作ってはならない。

もっと自分を愛して、他人を愛せるような人間が増えればいいんだ。

自分史を書く

わたしはわたしのことを嫌いだし、自分のことを嫌っているという事実にも嫌悪感を感じる。

自分が嫌いな自分とこれからも生きていかなければならないのが苦痛でたまらない。

いや、少し大袈裟か。

たまに、自分嫌いの"波"が訪れる。それはどんなきっかけで来るかわからないし、それが来るのが苦痛なのだ。

本当は好きでいたいのに。

周囲の人間にどんなに好かれようと、褒められようと、受け入れることが出来ないのだ。

わたしはそれに値するような人間ではない。

と拒否するのだ。

自分でも意味がわからない。

なぜこんな思考に陥るのか、わたしはわたしの心を紐解いて楽にならなくてはならない。

自分嫌いの自分と一生一緒に生きていかなければならないのだから。

 

なにがきっかけで?どんな出来事があった?

 

短い自分の歴史を振り返って受け入れる作業が必要なのかもしれない。

 

他人を愛せない

わたしは自分が嫌いだ。

どういうわけか、昔から自分が嫌いだ。

正直、いまも「なぜ」「どんなところが」「いつから」嫌いなのか解っていない。

なんとなく、ずっと嫌いだ。

その感情は継続的にというよりも、自分で自分が赦せなくなったときにあらわれる。

 

そう、自分を赦せない。肯定できないのだ。

家庭環境は悪くない方だと思う。

いまも両親は健在だし、貧乏でもなかった。

しかし、わたしの家庭は健全とは言えないと思う。

一言では表せないが、あえて一言で表すと、わたしの親は毒親だと思う。

 

正直、この歳になるまで良い家族だと思っていた。

しかし、大人になって他人と関わるようになって、自らの家族に足りないところがたくさんあると気づいた。

パーフェクトな家族なんてないと、そんなことは解っている。

自分が抱く理想の家族とずっと一緒に居た家族のギャップに耐えられないだけだ。

 

わたしはいまもいままでも、自分の家族を愛していないし、自分のことを愛してはいない。

 

自分のことを愛せずに、誰を愛せるっていうんだろう。

自分のことを大切にできないのに、誰を大切にできるっていうんだろう。

 

 

これからの人生を生きるために

明るい日記ではないです。

 

自分の心の陽のあたらないところと向き合うための日記です。

 

ひとつひとつ、自分の心と向き合う日記です。

 

ただの心のゴミを吐き出すゴミ箱。

 

 

自分のことが好きになれず、生きづらさを感じている。

 

このままじゃいやだって思った。

 

だから頭と心の中ゴミをここに吐き出す。

 

たまにゴミじゃないものが混ざっていたら拾ってよく眺めてみようと思う。

 

いつまで続くか、わからないブログ。

 

書くことがなくなったとき、いまよりもっと自分のことが好きになっているかもしれない。

 

頑張らない。決して頑張ってはいけない。

 

このブログはただのゴミ箱です。